~特別連載~短編時代小説
「鬼火」池田久輝

四章

 いやあ、ハツはほんまにできた嫁でっせ。前々から肝の据わった女や思てましたけど、改めて感心してしまいましたわ。
「鬼火やなんて、おもろいこと言わはりますなあ」
 ハツは大きな声で笑い飛ばしました。
 勘違いせんとってください。ハツは私を馬鹿にしてるわけやありまへんで。ほんま楽しそうに頬を緩めとるんですわ。私、その笑い声のおかげでだいぶ冷静になりました。
 ハツは私がみっともないとこ見せても、こうして笑てくれます。まあお世辞にもべっぴんとは言えまへんけど、気遣いはできるし、度量もええ。だから惚れたんですわ、ここだけの話。
「……茶を一杯くれるか」
「はいはい」
 部屋の隅に麦湯の入ったやかんがありまっさかい、ハツはそこから茶碗に注いで持ってきてくれました。この麦湯も店の売り物ですねん。余ったぶんをこうして飲んどるんです。
 私、ぐいっと茶をあおって一息つきました。そのあとで正之助が言うてた鬼火のことを話しました。ハツは胡散くさそうな顔一つせんと聞いてくれましたわ。
「ふうん、正之助さんが言わはるんやったら、作り話やとか夢やとか、簡単に決めつけるんもあれですねえ」
「せやなあ……今日の夕方、正之助はんから聞いた時、わしはそんなあほなて適当にあしらってしもた。正之助はんの性分はよう知ってるはずやのに……反省せないかん」
「明日の朝にでも、ひとこと詫びておいた方がええんとちがいますか」
「そうしよ。けど、ほんまに鬼火を見るやなんて……」
「お盆が近いせいですかねえ」
 盆まであと十日です。その十日を待ってられんいうて、どこぞのご先祖さんの霊が出てきたんでっしゃろか。 ハツは格子窓に向かって合掌して拝んでましたわ。 
 その時です。外でなんや物音がしました。ハツも耳にしよったみたいで、二人で目を合わせました。
「あんた、ちょっと表へ出てみたらどうです」
「表に?」
 格子窓いうても虫籠むしこ窓みたいな作りでっさかい、隙間から覗こうにも下まで見えまへんのや。物音の正体を確かめよう思たら、一階から外に出るしかありまへん。
「鬼火を見て、あんたみたいに尻もちついた人がいるかもしれんやないですか。それやったら助けてあげんと」
「お、おう」
 えらい戸惑いましたけど、ハツの前でこれ以上、下手を打つわけにはいきまへん。毅然とした態度も見せとかんと立場がありまへんわな。
 私、部屋から行灯を持ち出して階段を下りました。店の中はしんと静まり返ってます。じっと耳を澄ませてみましたけど、外から物音は聞こえてきまへんでした。どこかで野良犬が遠吠えしとるだけです。
 店の木戸を開けて、行灯だけそっと表に出しました。そのあとで通りを覗いてみると、誰もいまへんでしたわ。尻もちついとる人なんかおりまへんし、もちろん鬼火も飛んでまへん。
「ハツ、誰もおらん」
 二階の格子窓に向かって声をかけました。
「そうですか。なんや物音がしましたけどねえ」
 行灯で地べたや店の壁をよう照らしました。いつもとなんにも変わりありまへん。
 ただ、妙な臭いがしましたわ。どう言うたらええのかわかりまへんけど、なんやくさいんですな。食べ物が腐ったみたいな感じでっしゃろか。
 私、鼻をくんくんさせながら周りを歩いてみました。鼻にはわりと自信がありますねん。修業の時に自然と身についたんです。
 そうして〈高安〉の東側の細い路地へ入った時ですわ。なんかに蹴つまずいて、たたらを踏みました。
 行灯を近づけてみると梯子でした。どこにでもあるような代物です。それが店の横っちょの壁に立てかけてありますねん。
 なんでこんなとこに、てな疑問よりも先に腹が立ちましたわ。危ないやないですか、細うて暗い路地に置いとったら。私みたいにぶつかってしもて、下手したら怪我してしまいまっせ。
「誰やほんまに……」
 私、ぶつくさ文句を垂れながら梯子を運んで、店の表の壁に沿うて倒しておきました。
「どうしましたんや、それ」
 ハツが木戸の前で待ってました。
「そっちの路地にあった」
「店の梯子ですか」
「どうやろな」
「あれ? そこに布切れが引っかかってます」
 じっと目を凝らしました。確かに足場のとこに布の切れ端が挟まってます。
 それを見て、はっとしましたわ。梯子に見覚えはありまへんでしたけど、布切れはよう知ってましたんや。
「その矢絣、あんたの浴衣とちがいますの」
 ハツもすぐに気付いてました。
 矢絣の柄――何日か前、佐吉にやった私の古の寝巻も矢絣の浴衣でした。
「あんた、いつ梯子にのぼりはったんです」
「のぼってへん。わしの浴衣は佐吉いう男に――」
 面倒や思いましたけど、そのいきさつについて話しておかんわけにはいきまへん。私、かいつまんでハツに伝えました。
「……へえ、そんなことがありましたんか。若旦さんが連れてきはったんですか」
「えらい朝早かった。おまえも起きとったけど、部屋で飯の用意してたさかい気付かんかったはずや」
「言うてくれたら、その佐吉さんのご飯くらい作りますのに。若旦さんのお連れさんやったらなおさらです」
「いや、連れっちゅうわけやのうて……」
「次はちゃんと言うてください。余りもんの饅頭やなくて、きちんともてなさんと」
 ハツも〈高安〉には世話になっとるんです。私の五つ下で、大旦那はんの屋敷で女中をしてるんです。仕事はしっかりするし、料理もかなりの腕前でっさかい、大旦那はんにえらい気に入られてるそうですわ。
 で、今から十五年前、私が二十八、ハツが二十三の時ですな、大旦那はんが縁談の話を持ってきてくれはったいうわけです。「おまえら一緒になったらどうや」言うてね。私はもう修業を終えて、〈高安〉の菓子職人として気張っとるとこでした。
 大旦那はんからの紹介でっさかい、断るわけにはいきまへん――ていうんは建前です。私、ハツを目にするなり惚れてしまいました。
 ……いや、すんまへん。
 ほんまは前々からハツのこと、ええなあ思てたんです。店の用事やなんやで屋敷の方へ訪ねることがあったんですわ。ハツとはそこで顔を合わせてますねん。挨拶くらいですけど、話す度にどんどん気になってしもて……。
 これは勘ですけど、たぶん大旦那はん、そんな私の気持ちを知ってはったんやと思います。せやからハツとの縁談を――。
 あかん、ここまでにしときます。馴れ初めなんか話しとったら恥ずかしゅうなってきましたわ。照れくさい。
「とりあえず、今日はもうええでしょう」
 ハツがにこっと笑みを浮かべました。
「そうしよ。梯子を運んだら疲れてしもた」
 なんやもう、鬼火で騒いでた自分が馬鹿らしなってきました。
 それよりも気になるんは浴衣の切れ端の方です。矢絣の柄なんて別に珍しいもんでもありまへんし、これが佐吉にやった私のお古かどうかも判断できまへん。けど、佐吉の黒ずんだ甚平姿がやけにちらつくんはなんででっしゃろ。
 まあ明日、若旦はんに話してみることにして、今日はもう寝ますわ。



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(2026年2月28日更新予定)